好奇心は鯖をも殺す

日記

『イスラーム文化-その根柢にあるもの-』

今年の初読書。
正月休みに読もうと買ってちまちま読んでいるうちに、1月も半ばになっていたし、読み終えるかなという頃に、フランスではシャルリーエブド襲撃事件が起こり、タイムリーな感じになってしまった。
かと思えば、読み終えてからブログを書くのを面倒がっているうちに、イスラム国が日本人を人質にとって200億の身代金を要求する映像を公開していた。タイムリーだ。
実際には、ニュースに上らずともムスリムは世界中にいて日々の生活を営んでいるわけで、こういった本を読むのに時期外れなんてものはないんだけども。

一応自分もイスラム教について、五行や食事やら、ムハンマドの生涯のような常識レベルの話は別の本で読んだことはあったけど、これは全く違うタイプの本だった。
「宗教」、「法と倫理」、「内面への道」の3つの章を通して、アラビア半島を中心とした、イスラーム文化の基盤となる知慧などについて解説してくれる。
「宗教」、「法と倫理」の2章では、イスラーム最大勢力であるスンニ派の立ち位置をメインに、イスラーム文化の基本中の基本である宗教とイスラーム法から、イスラーム圏について教えてくれる。
グローバルという概念が当たり前になりすぎて、以前に比べて耳にする頻度が下がってしまうほどグローバル化の進んだ昨今、僕らのムスリムとの接触の機会も増えている。
イスラーム圏の人間がどういった道徳基準を持っているのかを知っておくことは、相互理解という理想の実現を目指す人のみならず、穏便に過ごしたいという消極的な人間にも役に立つだろうと思う。

イスラーム教はこれまでの人類史上、モーゼやキリストなど幾人かの預言者がいる中、ムハンマドが最後の預言者であり、今後も預言者は現れないというスタンスを取る。
神の言葉をアラビア語で直接聞き、それをアラビア語で記したものがコーランであり、神の意志を体現しているとされるムハンマドの言行録をハディースというそうだが、この2つ、特にコーランを絶対のものとして成り立つのがイスラーム法であるという。
コーランが是と言えば是、非といえば非なのだ。
最後の預言者ムハンマドの死後は当然新たな神の言葉を聞くことはできないが、時代を追うごとに、ムハンマドの時代には起こりえなかった問題が発生する。
これについてイスラーム的倫理によって判断する上ではコーランをどのように解釈するかが重要になるわけだが、コーランの記述をを一字一句漏らさず徹底的に論理的に紐解いていくことで、スンニ派は高度な論理的思惟法をも手に入れたという。なるほど、論理的だ!

2章の終わり頃まで読むと「なるほど、イスラーム社会がわかってきた気がするぞ。」と思うのだが、3章「内面への道」に入った途端に、自分が道を見失ってしまった。
この章は、論理を極めたスンニ派の思考の方向性を「外面への道」と言ってしまうほどに内面へ内面へと意識が向いているらしい、シーア派とスーフィズムについて書かれている。
「イスラム教はコーラン(とハディース)の文章を一つ一つを論理的に分析していくことで、神の意志を読み取ろうとしているんだな。」と思っていたら、こちらは全くの逆、もはや何を信じていいのかもわからない。
1冊本を読んだところで、日本人的思考から離れ得ない自分からすると、こいつら本当に神を恐れて(信仰して)いるのかと思ってしまう場面すらある。
しかし、事実を書いているだけでここまでどんでん返しをされると気持ちよさすら感じる。
この対照的なイスラームの派閥も、それを越えてイスラーム教徒であるという連帯感で結びついているというのだから面白い。

この本は、1981年に開催された講演内容をまとめ、加筆したものだが、30年以上経った今でもイスラーム入門として充分に機能しているだけでなく、読み物として単純に面白い。
久々に万人に薦められる本を読んだ気がする。
「イスラームでは聖と俗の区別がない」とかいう話なんかも面白かったので是非読んでみてほしい。
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