好奇心は鯖をも殺す

神社 日記

御柱とメキシコのおじさん

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長野旅行の1日目は、東京で友人と合流して神社を中心に色々と回った後、最近出来たというバスタ新宿から高速バスで長野へ。2泊する長野駅近くのホテルへ着いたのは10時前だった。

旅行の2日目は最大の目的であった御柱祭を見に行くために諏訪へ。
御柱祭は諏訪大社の4つの社の四方に立てる柱を山から人力で引っ張って運んでくるお祭りで、途中に山があったり川があったりする。だんじり程ではないが、死者が出ることでも有名だ。この日は下社の山出しというイベントで、下社の2つの社、春宮と秋宮に立てる柱を山から神社への道半ば程まで運ぶ。途中では、有名な木落しという、男たちが柱に跨ったまま崖のような坂を滑り降りるクレイジーなイベントも発生する。完全にアイカツ!クリスマス回だ。

9時過ぎに長野駅を出発する特急電車に乗る。車窓からは残雪の日本アルプスも見えた。住めるところは大体盆地という話も納得な景色の中を走り、11時になろうかという頃下諏訪駅に着いた。
駅前には出店と、移動式の巨大ビジョンが設置されていて、パブリックビューイング的にいつでも御柱を運ぶ様子が見られるようになっていたが、既にスケジュールから1時間以上遅れていた。

せっかく長野に来たので、お昼は出店で売っていた栃木県の有名な駅弁「峠の釜めし」を食べた。素焼きの釜はおみやげに持って帰る人も多いというが、手荷物検査で爆弾と間違われることが容易に想像できたのでやめておいた。
北海道旅行から帰る時の手荷物検査で、3度も4度も鞄が機械を通った挙句、
「…爆弾みたいなの入ってませんか…?開けてもいいですか?」
とおそるおそる聞かれたので調べてもらったら、小樽で買った巨大イカ飯が登場したあの時の反省が活かされた形となった。

天気予報ではこの日の最低気温が3℃となっており、完全に軽装で臨んでいた僕らは恐々としていたのだが、実際は昼食を取る間ずーっと日差しに背中を焼かれ、日焼け止めを持ってこなかったことを後悔する程だった。誰だよ今の長野は九州の真冬レベルなんて言ったのは。

食後、下社の秋宮、春宮を巡ってから柱を曳いている所を見に行くことにした。
まずは秋宮。
DSC01627-2_s諏訪大社は上社の本宮がメインだと考えていたので、秋宮の立派さに驚く。ここの狛犬は青銅製では日本一らしい。
以前友人に御朱印帳を薦めたところ、思いの外あっさり所謂御朱印ガール(書くだけで滅茶苦茶イライラする呼称だし、本人に言ったらやはりイラっとしていた)になったのだが、今回は御朱印帳を忘れて、前日に引き続き紙で御朱印を頂いていた。また、前日に引き続き拝みながら「楽して暮らしていきたい…」と神頼みしていたので、これは真似しようと思った。

そして春宮。
DSC01641-2_sここもなかなか立派だった。
普段通り無心で拝んでから「楽して生きたい」とお願いするはずだったことを思い出したので、なかなか楽には生きられそうもない。
春宮のすぐそばを流れる川の対岸には万治の石仏というものがあり、その川の中洲である中之島にはどんなに水かさが増えても沈まないという浮島社という社があるらしい。案内板で見てワクワクしながら向かったのだが、そこは長野の沖ノ鳥島。完璧な護岸工事が施され、確かに沈むことはなさそうだった。
無敵要塞っぷりにひとしきり笑い、万治の石仏に参っていよいよ生御柱へ。

と思ったが、結構遠い。
山に登り始めて、本当に道が合っているのか疑いたくなるころ今日の御柱終点ポイント注連縄(しめかけ)に到着。前日までに運ばれてきた柱が横たわっていたので、そこに座って休憩。すると、目の前にローカルタレントらしい人とカメラクルーが現れて中継を始めた。
興味深く見ていると、急にカメラがこちらに向けられる。あまり映りたくないので驚きながらも二人してカメラを見ないようにしながら談笑していると、却ってバックグラウンドの映像としていいと判断されたのか、タレントかアナウンサーかの3人組の喋りをバックに丸1分以上は撮られていた。長野民放デビューである。インタビューされなくて本当に良かった。

道々の売店では”おんべ”という、木の棒の先にキラキラしらカラーテープが取り付けられた幣のようなものが決して安くはない値段で売っていた。しかし、ふたりともそれを手にしたが瞬間から猛烈に頭が悪くなる事が目に見えていたし、そもそも中継の映像でもそのようなものを持った人が全く映っていなかったので買わなかった。

いよいよ御柱を曳いているポイントだ!と思ったら現れたのはバリケード。チケットを持っている人しか入れないらしい。山出しはチケット制と聞いていたけど、その先も見られないとは…
細い川の対岸を行く御柱は見られるとのことだったので、上社へ行くのは諦めてその場で待つことにした。

待っていると、突然異国風のおじさんに話しかけられる。曰く、チケットを持っていないが、明日なら木落しは見られるだろうか、ということだった。我々もバリケードがあることを知らなかったくらいなので、海外から来た人はそうなるよね。英語の情報もないし。
話を聞いていると、おじさんは子供の頃にテレビで見た御柱祭をひと目見ようと16時間掛けてメキシコからやってきたらしい。家族も連れてもう二度とない機会に賭けて来たのかもしれない。これではあんまりだ。
係の人に聞いてみると早朝に来ればバリケードがなく先に行けるので、ずっと道路で待っていれば見られるかもしれないらしい。つらい。一応伝えはしたが、旅程や家族のこともあるだろうし、見られたのかはわからない。

結局待つこと3時間弱。ようやくこの日最初の御柱が通過。遅れに遅れ、もう夕方になっていた。喇叭の音と呪文の詠唱のような女性の歌声に奮起されるように運ばれてゆく10トン級の柱を眺める。
なんだかやることはやったような気がしたので、駅前で蕎麦を食べて帰ることにした。

へとへとになりながら駅前まで帰ってくると、パブリックビューイングでは丁度木落しが始まる所だった。始まる所だったと言いつつ、その後30分近くは喇叭と民謡的な詠唱が続いたのだが。
いよいよ落とすぞという頃になると、柱の上の男たちの顔にも緊張が現れてくる。生きては帰れないかもしれないのだから当然だろう。周囲の人とガッチリと握手をして、いよいよ柱が崖にせり出してくる。最後の歌と喇叭が吹かれる。後ろで引っ張って支えていた綱を斧で切り飛ばすと、男たちを乗せた柱が猛スピードで滑り落ちていく。
引き剥がされ飛ばされていく男もいる中、先頭の男達は柱が止まるまでしがみついていた。

やがて地面に突き刺さるように止まる御柱。急制動についていけない身体は慣性のままに宙に投げ出された。それでもすぐに立ち上がり跨がり直す男達、それを祝福するかのように駆け寄って取り囲み、声を上げる男達。そして再び固い握手を。男達は生きている。
ふと隣を見ると友人はハンカチを目頭に当てていた。泣くほどかよと思ったが、僕も今思い出して涙が出そうになっているのでそういうことなんだろう。

あ、蕎麦屋さんは柱を引っ張っていたのかどこも休業中だったので、帰って長野駅前で食べました。おいしかったです。

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