雨のお城で能楽を見てきた。

先週末の3連休初日の土曜日、お城で能楽を見る機会に恵まれた。
能楽、特に能には前々からふんわりとした興味はあった。三島由紀夫などを読んでいるとしばしば能が出てくるが、その演目が出てくる意図や暗喩を読み取れずにもやもやしていたのがきっかけだと思う。
大分にも能楽堂はあるものの、実際に能楽が演じられることはほとんどなく、平日昼間にリタイアおじさんか有閑マダム向けワークショップが開かれているばかり。遺憾ながら平日昼間に働いてしまっている僕は、見てみたい見てみたいとは思っていたものの、なかなかその機会がなかった。

そんな中、隣県宮崎の延岡市で毎年行われているという「天下一薪能」の誘いが届いた。
街の中心部にある延岡城址の「千人殺し」と呼ばれる石垣をバックに、その日のためだけの舞台を組み、城主が持っていたという能面を着けて舞うものらしい。紹介パンフレットの演者の欄を見ると、10代目片山九郎右衛門と、野村萬斎が来るという。
この2016年に野村萬斎といえば何と言ってもゴジラである。元々親戚から薦められて今年は観に行こうと思っていたが、シン・ゴジラにハマっていたテンションで「ゴジラの中の人である野村萬斎が来るというのは、実質延岡城ゴジラ襲来では?」とIQ60くらいの発想をしてしまい、勢いでSS席のチケットを購入した。

さて当日、当方、大学の教養教育程度(しかも文学)の知識しかござらん。という感じでTシャツカーディガンチノパンというラフな格好で出かけて行くと、襟のない服を着た人が居ない。着物をガチガチに着付けて着たご婦人もいる。同行人はドレッシーなシャツを着ている。いや、出かける前に教えてくれよ。

無知が招いた悲劇を乗り越えて陣幕で囲まれた舞台の席に着くと、真正面に舞台と石垣が見えるなかなかの好ポジション。
入口で受け取ったパンフレットを読んでいるうちに暗くなり、薪能というだけあって松の薪に火が灯される。
場が整ったところで、地元延岡市の子どもたちが3曲程舞う。仕舞というらしい。しかしこの後の印象が強すぎてよく覚えていない。
子どもたちが舞い終えたと思えば雨が降り始めたので、天気予報を見て用意していたポンチョを装着する。準備会かなにかの皆さんが雑巾で必死に濡れた舞台を拭いている背中にも強まった雨が降り注ぎ、ダメなのかと思い始めた頃、狂言『蝸牛』を始めるというアナウンスが。

主人から長寿の薬の材料としてかたつむりを取ってくるように申し付けられた男だったが、かたつむりを見たことがなかったので「藪に居り、頭が黒く腰に貝を着けている」といった特徴から、藪で寝ていた山伏をかたつむりと勘違いしてしまうというあらすじ。勘違いコント的な面白さは勿論、悪乗りした山伏が「囃してくれればお前と行ってやろう」などと言うので二人で「でんでんむしむし でんでんむしむし」などと調子よく盛り上がってしまう。挙句の果てに迎えに来た主人までも、山伏とは知りつつも加わってしまうのには理屈抜きの面白さがあった。
野村萬斎の楽しくて仕方がないという声の調子と意外にアクティブな動作で、囃し始める度に吹き出してしまう。
何を言っているのかわからないイメージがあったが、意外にすっと入ってくる。頭を空っぽにして楽しめるお話だった。

更に雨が強まる中、能『道成寺』が始まる。
釣鐘の供養が行われる寺が舞台の『道成寺』では、舞台の上方にある滑車から鐘が大道具として吊るされていた。

住職から女人禁制と言いつけられていたにも関わらず、舞を捧げたいと申し出た白拍子を入れてしまう。しばらくの後、物凄い音に驚き駆けつけると鐘が落ちてしまっている。住職に経緯を話すと、かつて寺で起きた事件を語り始める。
娘に惚れられた山伏がまた戻ると約束して逃げたところ、約束を反故にされた娘は恨みからその身を蛇に変えながら、川さえも易易と泳ぎ渡り追ってくる。寺に逃げ込んだ山伏は下ろした鐘の中に匿われるも、娘は鐘に巻き付き山伏を焼き殺してしまう。
消えた白拍子はその娘の怨念に違いないと祈祷を始めると、鐘は動き出し、中から蛇となった女が現れる。住職達に襲いかかるも決死の祈祷の末自らの炎で身を焼かれた蛇は川へ飛び込み姿を消す。
という壮絶なストーリーだ。

こちらは見る以前から持っていた能の「静」のイメージに近く、舞いを奉納しているというシーンでもかなり動きが少なかった。しかし、舞が進むにつれて動作は速く大きくなってゆく。クライマックスの鐘が落ちるシーンでは、落ちる瞬間に飛び上がって鐘の中に消え、観客席からも「おお~」という驚嘆のどよめきが起きた。静的な動作は動を際立たせる演出であった。

再び鐘が上がると、笛や太鼓も激しくなり、大いに髪を振り乱した蛇と住職が舞台上を所狭しと動き回る。いわばバトルシーンである。衣装も何もかも濡らす雨がおどろおどろしさに拍車を掛け、息をも吐かせぬ緊張感に観客達が圧倒される中、曲が終わる。
思っていたよりも遥かに面白く、帰りの車も絶賛の嵐だった。来年もまた行きたいというよりも、来ようと意識の方が強くなっていた。

席を立って行列の中帰る道で、ポンチョから可能な限り足を出すまいと歩く姿を「狂言師のようだ」と指摘された26歳の夜だった。

狂言サイボーグ (文春文庫)

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