さば、空を飛ぶ。

次回→長野旅行② 次々回→長野旅行③

金曜日の朝、僕が大分空港に到着した時にはもう、太陽は昼間に向けて大気の余熱を始めていた。
ボストンバッグ一つ持った僕は、旅行のために有給を取得した男。つまり人類最強の男だった。

東京への便へ乗るために搭乗手続きをしなければならないのだが、飛行機なんて3年は乗っていないので完全に忘れてしまっていた。とりあえず椅子に座って、スマートフォンで航空会社のサイトを覗き、手順を確認する。機械を使ったりといった方法もあるようだったが、まあカウンターに行けばなんとかなりそうだ。

すっくと立ち上がり、何を思ったかいきなり手荷物預かり所へ行く僕。
「荷物のお預けですか?」
直ぐ側の搭乗手続きマシーンにも窓口にも行かず、いきなりやってきた僕に怪訝そうな顔で聞く係のお兄さん。完全に機内に鞄を持ち込む予定だったので脳内にクエスチョンマークが浮かびまくる僕。
顔にまでクエスチョンマークが浮かんでいたのか、飛行機ビギナーだと察してくれたようで
「搭乗手続きはお済みですか?」
隣のカウンターを案内してくれた。ポンコツと化していた僕は、10だか12桁だかの予約番号には心当たりすら無かったので、予約した時のクレジットカードを渡して搭乗手続きをしてもらった。人間は他人に支えられて生きているんだと思った。

空港でお菓子と、なんだか今食べたい気分だった豚の角煮を東京で合流する友人へのお土産として買って、手荷物検査をパス。もこみちがオリーブオイルを掛けている様子を見たりしながらぼんやりしているといつの間にか搭乗時間が来ていた。

窓際に座りたい質なので、前方右側窓際の予約していた席へ座る。窓からは翼とエンジンの前半分程が見えた。
飛行機が滑走路へとじれったいほどゆっくりと進む。離陸する時に、それまでゆっくり走っていた飛行機がゴウンッ!と加速する瞬間がロボットアニメのような男子趣味的感覚があって大好きなので、毎回この瞬間に向けて心を整えてしまう。
そうして時速200km以上のスピードで、子どもの心に戻ったおじさんが離陸。

前日は春の嵐だなんだと言っていたのが嘘のように凪いでいた風は、大きな波を起こすこと無く、海には鱗状の紋様が広がっているのが見えた。遠くから見ているから定在波の腹のようになっている部分だけが浮き上がって見えるのだろうか。鱗は静止していて、皮革へと加工された大蛇のようだった。
鞄から旅の友にと買っていた会田誠のエッセイ本を取り出して読んでいると、いつの間にか高度を上げていた飛行機は雲の上にいた。無限に広がる雲海は、更に上を吹く風に散らされて出来た白い薄膜によって空との境界線を失っていた。僕の乗っている飛行機以外全ての世界はひとつだった。

会田誠がボールに殺害予告をしている頃、ふと窓外を眺めると、空と雲には輪郭線が取り戻され、少し上方には更にもう一つの線が引かれていた。
線を辿ると猛スピードで窓の右端へ消えようとする飛行機が見えた。殆ど動かない風景の中にあって、時速1000kmを越える相対速度ですれ違う機体はなぜか僕の笑いを誘った。

いつの間にか高度を下げていた機体は、東京湾上空と思われる場所(空でも場所という言葉が使えるのだろうか)にいた。
鞣された大蛇はまだそこにいて、所々に白い線状の結晶を肌に浮かべていた。結晶は岩礁にぶつかる水であり、行き交う船の曳き波だった。僕の払った片道1万円とちょっとのお金が空気混じりの水を固体に変えたのだ。

駐機場を舐めながら滑空して、いつの間にか羽田空港のモノレール乗り場に居たので、オタクの本能に従って秋葉原へ向かった。

 

3日間の旅も最終盤。長野から帰ってきた僕は、夕方の羽田空港にいた。
旅行の間に「3回回ってワンと言え」と言われればトリプルアクセルをかましそうな程に頭がスカスカになっていた僕も、機械を使ってみたら思いの外あっさりと搭乗手続きができたし、いきなり手荷物を預けようとすることもなかった。現代テクノロジーはすごい。
手荷物検査の時間ギリギリまで、空港まで見送りに来てくれていた友人と旅の話をしたり、アイカツ!のスマートフォンゲームのガチャで、目当ての夏樹みくるちゃんのSRカードを一発で引いているのを横で見ていたりした。これがみくるのミラクルかと思った。

友人と別れて、襲ってくる労働の恐怖をひたすら旅の余韻で打ち消していると、いつの間にか搭乗の時間になっていた。
復路は機体後方左側の窓際の席を予約していた。

帰りのお供は三島由紀夫の娯楽小説と、東京駅のアイカツスタイルで思わず買ってしまったうたバッジだ。うたバッジは缶バッジのような見た目だが、イヤホンを挿すとアイカツ!の楽曲を楽しむことができる今世紀最高の缶バッジ型音楽プレイヤーである。

滑走路へ着かないでくれ…という祈りも虚しく、ゆっくり、しかし確実に進む飛行機。空は夕焼け。赤い光の中に無線電話用アンテナ塔が黒く浮かび上がっていた。離陸の加速も僕を童心に戻すことはなく、ただのおじさんを地面から引き剥がした。

離陸していくらもしないうちに、「霧の中を通過しますので~」というようなアナウンスがあった。素人なので空にかかる霧と雲との違いが分からないが、その霧の中を抜けるとまだ青さが残る空が現れた。
行きの空は下から見た時の雲のイメージを裏切らなかったが、ここで現れたのは、固まるに固まれず、天女の羽衣を重ねてなんとか形成したような雲だった。
羽衣は上方に向かうほど毛羽立ち、毛羽はやがて空に溶け込み見えなくなった。

やがて再び霧に入ったのか何も見えなくなったので、本と音楽の世界へ。
サービスのコーヒーを受け取った時、紙の上では女が死に、耳元では少女の未来への希望が歌われ、窓の外には黒ずんだ大脳のような雲が敷き詰められていた。
高度が下がってくると、僕の行ったことのないであろう土地が、海岸沿いの道路を走る車のヘッドライトで縁取られているのが見えた。日はとっくに沈んでいたらしい。

飛行機は滑走路で一度弾んでしばらく走った後、止まった。
空港の駐車場に止めておいた車は鍵がかかっておらず、何の抵抗もなく開いた。エンジンをかけるとアイカツ!の最新ベストアルバムが再生されたので、夜の空港道路を歌いながら帰ることにした。
一般道に差し掛かる頃、アイカツ!の放送はもう終わり、明日には後継番組のアイカツスターズ!の衛星放送が開始されることに気づき、それ以降帰宅するまで口を開くことはなかった。

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